マルタの歴史について

Hey Guys!
マルタ校インターン生のKokiです! 観光に行った際、もっと現地の歴史を知っていれば楽しめたのにな、、といったご経験はありませんか? 今回は歴史編第1弾! マルタで英語が使われるようになった経緯や、首都ヴァレッタの歴史についてお伝えしたいと思います!   学校の様子はInstagramにも投稿しているので、そちらも是非ご覧下さい。

・マルタの公用語は?
イタリアのシチリア島南に位置するマルタ島。 地図で見てみると、地中海のほぼ真ん中にありアフリカ大陸からも近いことが分かります。
私が初めてマルタという国を知ったときに感じた疑問が、マルタって何語を使うの?でした。 このブログを読んでいただいている皆さんでしたらお分かりかもしれませんが、マルタの公共語はマルタ語と英語なのです! それでは何故イタリアから近いマルタで英語が使われるようになったのでしょうか?
・植民地としての歴史を持つマルタ
マルタ島は長い歴史の中で、数々の国に支配されてきました。 地中海のちょうど真ん中辺りにあるマルタ島は貿易の拠点として、また地中海での交易を望んでいた国々にとって貴重な場所であったのでしょう。
植民地支配による影響で公用語はその都度変わっており、1934年までは公用語としてイタリア語が使われておりました。 今でもマルタのテレビ番組はイタリア語のものが放送されており、マルタ人の方の中には自然と聞きなれてイタリア語を習得されている方も多いのだそう! その後マルタ共和国として独立してから公用語がマルタ語と英語に定まりました。 日本で生活していた際、日本語以外の言語をほぼ使う機会がなかった私にとってこのような文化や歴史的背景を知ることは大変興味深いものでした。
・ヴァレッタの歴史
マルタの目玉観光スポットの一つとしてあげられるのが首都・ヴァレッタ 。 こちら街全体が1980年にユネスコ世界文化遺産に登録されており、訪れた人々をまるで中世にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれる特別な場所となっております。 こちらの写真はヴァレッタの住宅街を撮影したものですが、 伝統的なマルタストーンでできた家と住民の方が使われている車が中世と現代を織り交ぜているような不思議な光景で、私のお気に入りの景色の一つです!
ヴァレッタを訪れてみると、高い城壁が海岸沿いを囲うように設置されているのが見受けられます。
この素敵な景観を持つ街は、どのような経緯で造られたのでしょうか? 今から遡ること約450年前、1565年に当時猛威を奮っていた強国・オスマントルコ帝国からの侵略に備え、要塞都市を建設する計画がスタートしました。 建設開始からわずか15年間という短い期間で要塞・砦・大聖堂などを完成させ、街の名前は創設者である聖ヨハネ騎士団の団長ジャン・パリソ・ラ・ヴァレットからヴァレッタと名付けられました。 ヨーロッパの歴史の中でも当時非常に近代的な建設技術を用いられ、要塞都市ヴァレッタは幾度にも及ぶ帝国からの攻撃を制圧し続けました。 そして今日まで、私たちが目にする美しいハチミツ色のマルタストーンでできた建物や基盤の目のような街並みの基礎を保ち続けているのです。
いかがでしたか? マルタ島は比較的小さな島国ですが、その歴史は深くヨーロッパの中でも非常に重要な役割を担ってきました。 今後の記事では主要観光地とマルタの歴史を結びつけながらご紹介していきたいと思いますので乞うご期待くださいませ!

Written by Koki Hashiyada